原子爆弾の思い出

思い出といっても、実際に体験したわけではなく。
長崎の原爆記念館に行ったのは、小学校3年生の時。
そのときのことは、今でも忘れられない。とにかく、恐かったのです。その夜は眠れず、次の夜も、よく眠れなかったのでした。
私が恐いと感じたのは、瓦礫の山でもよく生きているなと言うほど重症のケロイドでもなく、きのこ雲と融けたガラス瓶と、道路に焼け付いた人の影。
あれは、悪夢としか言いようのない時間でした。すくなくとも、進んで見に行きたいところではない。
今になっても、あれは子供に見せていいものだろうかと思いますが、一方で子供にこそ見せるべきではないだろうかとも思います。
私は、長崎の住民ではありません。だから、地元の人たちほどには憤りを覚えてはいないのかもしれないけれど、「しょうがない」と言う発言は、日本の政治に携わる人の発言ではありえないと思います。
過去は過去、今は今かもしれないけれど、今と言うのは過去の積み重ねの上に成り立っているものだし、強烈な記憶は簡単には薄れない。
なにより、核兵器と言うものは、人が使うべきではない物ではなかろうかと。

あの発言の直後に、罷免されてしかるべきだと思っていたのですが、日本の総理大臣は、日本をどこへ導きたいのでしょうね。

原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ 【日英2カ国語表記】

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この記事へのコメント

2007年07月07日 11:34
 まったくですね。わたしも生まれ故郷の焼津の町での第五福竜丸事件の実体験を政治的原風景にもっています。ある意味では、ヒロシマ・ナガサキ以上に、政治に翻弄された事件でしたが、漁船のアンカーのようにそれを引き止めた市民や行政の努力は、意外と報道されていません。
2007年07月08日 00:11
はじめまして!同感です!
わたしも20数年前はじめてナガサキの原爆記念館を訪れ、ガラスの中に封印された手を見ました。あの日の衝撃はいまだに忘れません。
 「ここをわたしの原点にしたい」って言ったら、ナガサキで被爆した同僚が同行していたのですが、「さあ、あなたはこれからどう行動するのかな」って。あの言葉に恥じない生き方してきたのかなって、あなたのブログに来てはっと思い出しました。こうして自分の思いを言葉にしていくことも大切ですね。
りおん
2007年09月17日 15:18
罵愚様、ののはな様コメンとをありがとうございます。 今更ですが。偉い人たちはどうして戦争をしたがるのでしょうね。

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